33歳の冬、ちぎれるような孤独の中で
33歳の冬・・・
あの夜の冷たさを、
私は今でも肌で覚えています。

最愛の人を亡くし、一周忌を迎えた夜。
魂がちぎれそうなほどの孤独と、
「これから一人でどう生きていけばいいのか」という
不安のどん底にいた私の前に、
信じられない光景が広がりました。
それが、
私にとっての『人生の修行』が
本当の意味で始まった瞬間でした。
「日陰の存在」というコンプレックスと、消えない後悔
最愛の恋人だった彼は
46歳という若さで、この世を去りました。

葬儀の出棺時、
長崎では珍しく
綿雪が激しく降っていました。
まるで若すぎる死に対する「皆の悲しみ」を
浄化しているかのような光景でした。
彼には家庭があり、
世間的には、私は「日陰の存在」。
彼を深く愛しながらも、
心のどこかでは
常に自分を卑下し、
世間の目に怯えるコンプレックスを抱えていました。
彼の友人の計らいで
葬儀への参列は許されたものの、
私の中には
一生消えないような後悔が残りました。
最後にかかってきた彼からの電話に、
店の準備に追われていた私は、出なかったのです。

理由は
「また後で、かかってくるだろう」とわかっていたから。
しかし、翌朝に電話が鳴った時には、
電話の向こうの声は彼ではなかった。
「昨夜、亡くなられました。
最後まで、あなたの名前を呼んでいたから……」
彼の友人から告げられたその言葉に
頭は真っ白になり、
まるで・・
自分勝手な私への「罰」のように感じました。
その後の半年間は、
事あるごとに涙が出て
後悔と恐怖に
押しつぶされそうな日々を過ごしました。
宇宙からの贈り物。またしても「正解」ではない縁に救われて
追い打ちをかけるように、翌年5月には父も他界。
父は肺に3種類の癌ができ、3年近く苦しみましたが、
最後は
「船が迎えにきているから行くよ」と言い残して
家族や親戚達に見守られながら
静かに息を引き取りました。

彼が他界し、その半年後に父が他界。その間のことは、ほとんど思い出せません…
不幸が重なり、
どうしようもなかった私は
現実から逃げるように
アルコールに溺れかけていました。
「なんで私ばかり、こんな目に遭うんやろか・・?」と
人生を恨み、
どうしようもない孤独感を
お酒で埋めようとしていたんですよね・・・
なんの解決にもならないのに。
そんな私の元に現れたのは、
またしても世間一般の「正解」とは違うご縁でした。
紹介されたのは精神科医の先生。
アルコールの専門家であり、
後に14年間にわたり
私のパートナーとなる人でした。
彼もまた既婚者でしたが、
当時のボロボロだった私にとって、
彼は神様が遣わしてくれた「唯一の救い」のように思えたのです。
真夜中の「金色の光」と、加速する不思議な現象
彼(亡くなった恋人)の一周忌の夜のこと。
今、思い出しても
大きな運命の変わり目の出来事だったと思います。
ベッドで休んでいた私の耳に、
はっきりと彼の声で
「とも」
と呼ぶ声が聞こえました。
目を覚ますと、
カーテンの隙間から、
真夜中とは思えないほど
煌々と金色の光が入り込んでいました。

イメージ画像ですが、実際には、もっと光が強かったように記憶しています。
すぐに「彼が来たんだ」と確信しました。
けれど、当時の私はあまりにも臆病で、
恐怖が先にたち
「ごめん・・、今は怖くて会えないから、帰って」
と叫んでしまいました。
その瞬間に、光はパッと消え、
真夜中の風景に戻りました。
結果的に、私は彼(光)を拒絶してしまったのです。
後に知ることになる
「彼の真の目的」を理解するまで、
ここから20年という月日が必要でした。
その夜を境に、
重い照明スタンドが勝手に動いたり、
誰もいないはずのリビングから音がしたりと、
不可解な霊現象が多くなりました。
毎日、夜になるのが怖くてたまらなかったのを覚えています。
目に見えない世界への恐怖に、
私は精神バランスを崩しかけてしまいました。
49日間の「花供養」から「オーラ」の探求へ
限界に達した私を救ってくれたのは、
ある霊能力者に教わった
「49日間の花供養」でした。

49日間の花供養。お供えしたお花とお茶を翌朝、川に流し、その後、新たにお花とお茶を供えるご供養を49日間繰り返します。
祈りと共にお茶とお花を
仏壇へお供えし、
翌朝には、川へ流し続ける。
1日でも休むと、はじめからやり直し。
1回で終わらせたかった私は
49日間、黙々と続けました。
しかし、
やり遂げた次の日から、
私は40度の高熱と
全身の発疹に1週間、悩まされることに、、、
今思えば、
人生初の「大浄化体験」だったとわかります。
その出来事から、
私の中に芽生えた
見えない世界への探求心は、
もう止まりませんでした。
長崎中の占い師を訪ね歩き、
たどり着いた「透視リーディング」。
そこで紹介されたのは、
世界有数の透視能力者と言われた
アメリカ人女性講師のスクールでした。

2006年6月〜2007年7月までの13ヶ月間、月に2回上京し、オーラ・透視能力開発・ヒーリングなど精神世界をはじめ、現実を生きる叡智を学ばせてもらいました。
実はその数ヶ月前のこと。
寝起きに「クレアボヤン・・」
という言葉が頭に響き、
PCで検索した時に、スクールを知ったのですが、
135万円という受講料を見て
「私には無理・・・」と
画面を閉じていたんです。
ですが、
どうしても諦めきれなかった私は
勇気を出して
パートナーに相談してみました。
決して安くない金額でしたし、
「スピリチュアル全否定派」だった精神科医の彼に話すのは
かなり緊張しました。
驚くことに、その時は
「お前が納得するまでやったらいい」
と背中を押してくれたのでした。
その言葉に驚き「本当に良いの?」と
何度も確認し、スクールへ願書を送ったのです。
おわりに:不完全な私のままで、扉を開ける
実は、事実を書くことをかなり迷いました。
日陰の恋に悩み、
罪悪感と後悔を抱えて、
アルコールに逃げ場を求めていた、
不完全な過去の私。(カッコ悪すぎますよね…)

そんな私が、
目に見えない「オーラ」の世界へ
足を踏み入れたのは、
決して綺麗な理由からではありません。
あの頃の私は、
ただ、生きるために必死だった。
でも、
この泥沼のような体験があったからこそ、
私は「本当の豊かさ」の意味を
探し始めることができたのだと思います。
▼【第1話】20代・借金1000万円からの出発の記事はこちら▼

▼闇の世界から光の世界への扉が開いた【第3話】はこちら▼


